Communications of Faraday!

*インサイドフォースキャンセラー顛末記 /Feb 4, 2000


 これもまた、重箱の隅をつつく(と言うよりは、重箱の隅を爪楊枝の先っちょで穿り出す)ような話です。

 アナログディスク再生において必要不可欠なトーンアーム。カートリッジを出来るだけ理想に近い状態で動作させる為に、幾つかの機構が搭載されています。今回はその中でインサイドフォースキャンセラーにまつわる、仲間内での凌ぎを削るような競争話を書きましょう。

 そもそも、インサイドフォースキャンセラーとは何ぞや?!ということから解説せねばなるまいっ!(みんなタイムボカンを知っているかい?)
 トーンアームの主流である、水平方向に回転する軸を持っているアーム(フィリップスのスイングアーム方式のCDメカは、この方式を参考に開発された物だと聞いた事があります)は、リニアトラッキング型とは違い、レコードの溝に対して、カートリッジの針先が斜めに接触してしまう状態になります。オフセット型は、この角度を小さくする為に、針先とトーンアーム回転軸を結ぶ直線に対して、カートリッジの中心線を、ターンテーブルの中心方向に曲げた状態でマウントする構造になっています。この処置を施す事により、オフセット角がゼロのときに10度程度だったエラー角度を、1〜2度程度に減少させる事が出来ます。こう書くと、如何にもすんばらしい方法の様に思えますが、実は大きな副作用が生じます。それは、カートリッジの中心線がレコードの中心を向いている為、レコードが針先を内側方向に引張るのです。これがインサイドフォースです。本来ならば、溝の無いレコードに針を落した時、針は左右方向に移動してはいけないのですが、この力の為にトーンアームは内側にスライドしてしまいます。本来ならば針を落した位置に静止した状態でなければ、正確に溝の情報を電気信号に変換する事は出来ません(実際にはちょっと違います。ある程度インサイドフォースが残っていた方が比較的良い結果[音]が得られます)。
 インサイドフォースキャンセラーは、この力を打ち消す機構の事を言います。その方式は、マグネット方式(磁石による吸引や反発の力を利用した方式)、重力を用いた糸吊り方式、コイルとマグネットによる電子式だったりします。ここで私が書くのは、糸吊り方式によるインサイドフォースキャンセラーにまつわるエピソードです。

 ヘッドシェルにまつわるエピソードを書いたときに登場した、地方の販売店での出来事。その店では、ユーザはこぞってあるメーカのトーンアームを使用していました。私や、Nさん(ヘッドシェル参照)もそのメーカのアームを使用していました(しかもみんな同じ型の物です。よく有りがちな話ですね)。そのアームのインサイドフォースキャンセラーなのですが、錘を釣り糸(テグス糸)で吊り、ルビーの受けで方向を変えて横方向に引っ張るという物でした。我々はテグス糸を絹糸に変えると良いという話を聞き、早速これを交換したのです。尚、ここでの話は、インサイドフォースキャンセラーに限らず、基本的な調整は全てクリアした上での話です。アームの高さ、針圧のかけ具合、ラテラルバランスの調整、プレーヤ全体の水平取り、等など………これらを詰めておかない事には、あまり意味のある話ではありません。


 さて、絹糸の話に入る前に、述べておく事があります。この糸の種類に関しては、人間の髪が良いという話も良く聞きます。その話を聞いた私は、まず自分の髪で試して見ました。ところがまたこれが冴えない。実に冴えない。やはりうら若い女性の髪に限るのかと思い、早速会社の髪のきれいな女の子に数本を所望しました。

私「悪いんだけど、髪の毛を何本かもらえる?」
女の子「いいけど、何に使うの?」

ついつい悪い癖でボケをかましたくなってしまいました。

私「え?聞きたい?」
女の子「ええ、そりゃ知りたいですよ。」
私「ゥゥ…舐める。」
女の子「絶対あげない!」

ここで終わってしまっては変態扱いされてしまいます。何とか言い訳をして説得し、髪をもらう事に成功しました。
 髪の毛をインサイドフォースキャンセラーの吊り糸として使う場合には、キューティクルの方向に気を付けなければなりません。これは髪をつまんで引っ張ったときに抵抗が少ない方向を確かめておき、アームが内周方向に移動するときに、途中の受けに引っかかる力が少なくて済む方向に設定しなければなりません。尚、この向きは、アームの種類によって変わります。
 そしていよいよ音出しです。確かにオリジナルのテグス糸よりはずっと良い結果となりました。遥かに血の通った音となります。でも、それでもこれから記載する絹糸の方が私の好みの音になりました。髪質によっても結果は変わってくるのでしょうから断言は出来ませんが、他の女の子に片っ端から髪を所望するわけにも行きません。よって髪の毛を使用する事ははあきらめました。


 それからもう一つ糸の長さについて述べておかなければなりません。私達が使っていたトーンアームのインサイドフォースキャンセラー構造は、アームがレコード最内周に達したとき、件の錘は最も上に上がりました。そのとき、前出のルビー製受けと錘の間隔が限りなくゼロに近付く様、糸の長さを調節すると、良い結果が得られるのです。これがどのような変化かと言うと、音のブレや濁りが減少するのです。また、アームの種類によっては、アームリフトに戻したときに最も錘の位置が上がるものも有ります。その場合も実用上問題が無い範囲で短くした方が良い結果が得られるようです。

 ここでようやく絹糸の話に戻ります。我々は絹糸を手に入れ、テグス糸を何のためらいもなくぶった切り(テグス糸には輪っかが作られており、これは金属のチューブでカシメられていました。従ってこれを切るという事は、オリジナルには戻せないという事なのです)これを交換したのです。もちろん長さは前述の通り“これ以上無い!”というくらい短くしています。するとどうでしょう、我々は今まで一体何を聴いていたのだ?というほど血の通った音が出てきます。みんな「随分とプラスチックっぽい音だったんだなぁ」と思った様です。

 ここで終わってしまっては面白くとも何とも無い話です。でもそこで終わるわけがありません。あるとき、この糸は細い方が良いのではないか?と思い始めました。不思議なことに、ほぼ同時に何人かが同じ事を考え、それぞれ独自にトライし始めていたのです。通常販売されている絹糸は、3本の束を縒り合せています。まずそれを分けて、そのうちの1本を使って「錘アッセンブリ」を作りました。すると音の出方がふっと軽くなります。

 私は、この「音の出方が軽くゥ・…」という表現を良く使いますが、この事についてここで書いておきましょう。自然界に存在している音で、この“音の出方”が重い音と言うのはまず無いと思っています。これは音の質量感とは違います。あくまでも出方の話です。質量感のある音(低音や中音や高音とかではなく)であったら、その質量感を伴った音がごく軽く出てくるのが正しい再生のあり方だと考えています。実際に周りに存在している現実の音を聴けば、納得していただけるかもしれません。レールのきしみ、電車が通過する時の地面を揺らす響き、街道を走るトラックの排気音、雷鳴、ドアの開閉音、そして生の音楽(PAを使用した物は除く)…….想像してみてください、上空で数km四方の巨大な金属板がたわみ、軋むような雷鳴がばっちり再生されれば、オーケストラのティンパニーの炸裂なんぞ楽勝で再現できそうな気がしませんか?そうじゃないとおっしゃる方、むきにならないで下さい。あくまで私の頭の中での事を書いているだけですからね。もちろんその上でバランスはばっちり取れていなければいけません。決してハイ上がりのバランスで鳴らすという事ではないのです。この出方が軽い音になってくると、前回も書いた「キングクリムゾン」が、良い状態で鳴ってくるのです。

 この時点で、仲間が同じ様なチャレンジをしている事を知りました。もちろん考えている事は同じです。「さらに糸を細くしていったらどのような変化が生じるのだろう?」さあ、後は競争です。みんなこぞって絹糸をほぐし出しました。
 ほぐしては聴き、さらにほぐしては聴き、2週間ほど経ちました。実際に絹糸をほぐして見れば判りますが、これ以上はほぐせないという、繊維一本まで分割する事が出来ます。ついに数人がこの繊維一本の状態に達しました。この時の変化ですが、一度細くする方向に変化させると、もう戻したくないという感じです。ほぼ同時期に、数人がそれぞれに、この状態の音を聴いておりました。

 ところが、この状態が、レコード片面持つかどうかという寿命だったのです。やっとの思いで錘に繊維を通し、何とか通し穴に引っ掛かる結び目を作り、前記した長さに合わせて、先端を輪っか状に結びあげる。もちろん長さが違ったらやりなおしです。そうしてようやく作り上げた“錘アッセンブリ”が、レコード盤片面も持たないとは!しかし音は良い。ここに至って我々は本数を増やし、音質の劣化と寿命をはかりに乗せました。繊維2本では数時間しか持たない。4本では音が濁る。我々は3本がよかろうという結論に達しました。この状態では、一日に3時間程度聴いたとして、半月から1ヶ月程度持ちます。但し、繊維を結ぶときに、3本の長さをぴったり揃えなければ、寿命はぐっと縮まります。また、前出のルビーの受けも十分にクリーニングしておかなければなりません。これは繊維の寿命のみならず、音の張りにも大きく影響してきます。

 この状態で数ヶ月間聴いていたのですが、やはり作りなおすのはなかなかおっくうになって来ます。ある時、例のNさんと話をしていたときに、インサイドフォースキャンセラーの話になりました。彼もまた繊維3本の人だったのです。
Nさん「この間(レコードを)聴いていたら、途中で糸が切れたんだよ。そうしたら、音がふっと軽くなるんだよね。結局あれは無くても良いと言うか、無い方が良いんじゃないのかと思って使うの止めちゃったんだよ。」
私「え?Nさんもそうだったの?俺はどちらかと言うと、面倒くさい方が勝っているけど、同じ理由も有って(音の出方が更に軽くなる)今は機構を丸ごと外したのですよ。」
Nさん「結局無くて済むんだったら無くて良いんだよね。」
私「うん。そう思う。」
かくして仲間はいっせいにインサイドフォースキャンセラーを外しました。

 暫く経ってから、例の販売店で私達が使用しているトーンアームのメーカの社長と話をすることができました。その店でもインサイドフォースキャンセラーは外して使用していたのですが、それを見た社長がボソッと嬉しそうに言いました。
「なるほど。インサイドフォースキャンセラーは外していますか。私も簡単に外せるから糸吊り式を採用しているのですよ。」

ちゃんちゃん。

(芦澤)

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