ある日、山形浩生さんから本が送られてきた。あのフリーテキスト「伽藍とバザール」など一連の論文がまとまって本になったのだ! ネットワークでフリーに流通していて誰でもタダで手に入れられる文章がなんと売り物になってるという衝撃的事実。 ちなみにお値段は1800円です。うーん、大学生はテキストにでも指定しないと買わないだろうな。(^^; この本に収められている文書の重要さについては、ネットワーク通ならみんな知っているだろうし、ダウンロードしたテキストはディスクのどこかのファイルとして、あるいは印刷した紙の束として持っているに違いない。それでもこの文書を本にする意義とは、どこにあるのか。同書から関連する部分を引用しよう。 (引用するのもフリーだから気が楽だ。引用しただけでも怒り狂う著作者もいるからなぁ。) 「...こうして本になっても、それは変わらない。ぼくのウェブページにある翻訳はそのままだし、相変わらずコピー、リンク、転載、一切オッケーだ。そんな条件を認めてくれた光芒社も実に勇気がある出版社だ。ある意味では光芒社は、オープンソース的なビジネスモデルを追求しているわけだ。レッドハットと同じで、中身はネット上で公開されているものと同じだ。でも、本としてのパッケージング、さらにはこれをネットからダウンロードして印刷する手間を省くというサービスを提供することで、この本は商品として成立するだけの付加価値を持つようになっているわけだ。」p. 250 訳者あとがき
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私自身は、手にとって改めて物理的実体としての本として読み返してみたのだが、やはり読みやすい。オンラインでは読み落としていた(あるいは頭脳の処理の合間に抜け落ちていた)事柄を改めて発見することができた。いま一つカッチリとした形のないオンライン文書に比較して、本としてまとめられた文書には「これで一つの完成形」という安心感がある。また高速に読み流してしまうきらいのあるディスプレイ上の文字に比較して、落ち着いて読むことができる。やっぱり私は、活字世代のうちに位置づけられるオジサンなんだなぁ、と改めて思う。 ディスプレイで文書を読むと寝転がって読めないので不便だと思うグウタラな貴方。ガサガサして落ち着かないプリントアウトがどうも気になると思う神経質な貴方。そしてこの「伽藍とバザール」は長く手許に置くべき文書であると考える維新の志士っぽい貴方。この本をお勧めします。 ちなみに私は「著作権の原理と現代著作権理論」という雑駁な論説で「出版社は広く読まれるべき文書を探し出して世に送り出すという作業を本質にしているのだ」というような趣旨のことを書いていた。そういう意味では、光芒社はまことに立派な仕事をしたといえるし、本として印刷機を稼動させるに値するだけの市場を「伽藍とバザール」が獲得したらしいことは、まことに喜ばしい。この本の売り上げが黒字となって、価値のあるオンライン・コンテンツをパッケージングするビジネスの好事例となることを期待しているわけです。 |
白田 秀彰 (Shirata Hideaki) 法政大学 社会学部 助教授 (Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences) 法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450) e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp |