パラレル・ワールドで語る倫理

*パラレル・ワールドで語る倫理 *

白田 秀彰

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コンピュータとネットワークが創り出すサイバー世界に限らず、現実世界でも、なにか事が起こると法や道徳や倫理について論議が始まる。こうした論議のほとんどは、議論の基礎となるべき世界観についての視点を欠いているように思われる。

ある目的のもとに、ある行為が行われ、ある結果が生じる。すなわち因果律だ。法や道徳や倫理は、それらについて善悪正邪の評価基準とされるものだ。「法」は国家による強制をともなう行為規範、「道徳」は広い意味での社会において要求される行為類型、「倫理」は個人に内面化された行為律とでも定義しておこう。

私たちは、善い結果を求める。仮に悪い結果が生じても、行為が正しかったり、目的が正しい場合、行為者は批判を免れる可能性がある。この行為や目的の「正しさ」は、それらが「善い結果」に向けられたものか否かで判断される。したがって、目的や行為の正しさの判断は、因果のプロセスが予測可能であることを前提にしているわけだ。すなわち、Aという行為があれば、Bという結果が起こる可能性が非常に高い、という認識が人々に共有されている必要がある。この共有認識を世界観とよぼう。

現実世界において、私たちは共通の物理法則、自然法則、生物としての性向に拘束されている。科学や技術は、それらの法則を利用することで、因果律を制御しようとする。私たちは、こうした因果律の集合体である世界観をもち、そうした世界観を前提として社会を形作り、善い結果としての社会に向けて法や道徳や倫理を作った。

いや、むしろ逆ではないか。ある種の法や道徳や倫理が機能するような世界観を作ったのではないか。事実、私たちは非常に長い時間と労力をかけて、私たちを拘束している諸条件を子供たちに理解させようと努め、その諸条件のもとで善い結果をもたらすであろう行為の類型について、それが個人に内面化されるまで説得しようとする。すなわち教育だ。私たちのほとんどが法学教育を受けていないにもかかわらず、問題なく社会生活を営める事実は、世界観がきちんと形成されていれば、ある場面において適切な行為を推論によって導き出しうることを示している。

近年、不可解な事件が増えているといわれる。いや、不可解な事件が増えているのではなく、私たちが前提としていた世界観が分裂しはじめているのだ。私たちにとっては不可解でも、行為者にとっては当然の因果のプロセスが流れていたのかもしれない。歴史書を読めば、近代的世界観が形成される以前には、我々の理解を超えるような法や道徳や倫理が通用していたことがわかる。たとえば中世キリスト教の世界観に基づいて行われた魔女裁判の例など。

メディアの発達による世界観の増殖と、教育の崩壊による権威ある世界観の喪失は、表裏一体の現象だ。物語・ファンタジーの数だけのパラレル・ワールドが現実世界と並んでいる。「千と千尋」、「ハリーポッター」は、もう一つの世界観を私たちに与える。ある人にとっては学校で教わる世界観よりもリアルかもしれない。現実世界とパラレル・ワールドが接触するとき、不可解な事件が発生する。

サイバー世界は、パラレル・ワールドの集合体。それは、現実世界では拘束条件だったものですら人為的に操作できる新しい「環境」だ。ディスプレイの枠の数だけそれぞれの人の「サイバー世界」が作られている。そこにおいて、法や道徳や倫理を語ることにどれほどの意味があるか。まして、現実世界のそれらを移植することは合理的か。今、語られている情報倫理は、ある特定の「環境」を前提としたものではないか。ある「環境」を操作した方がより善い結果になるのではないか。こうした視点からの議論が必要だ。

私たちは、自分の世界にコミュニケーションの窓を開いて、サイバー世界において何が拘束条件になるのかを探求しなければならない。どのような因果律の世界を形成するのかを選択しなければならない。共通の世界観となりうるものを見出さなければならない。そうでなければ、サイバー世界における法や道徳や倫理を語っても閉じた世界どうしのすれ違いに終わるだろう。これらの拘束条件の探求、因果律の選択、共通の世界観の形成が、新時代のリテラシーとして要求されることになるだろう。

巨大匿名掲示板が話題になっている。いろいろと批判があるようだ。しかしそこは、分裂したパラレル・ワールドを繋ぐ拠り所になっているように思える。私たちがこっそりとそこを眺めて得ているのは、「他者の存在の確認」と「自己がまだ世界と繋がっている」という安心感かもしれない。分裂した世界の私たちが、連結する拠り所を失うことは、事態をより深刻にしこそすれ、改善することはないように思える。

私たちが今、これからの世界に対して倫理的であろうとするならば、第一に「もう一つの『世界』を形成するプロセスに参加している」という当事者意識をもつこと、第二に「新しい『環境』を率直に理解しようとする努力を続けること」、第三に「他者とのコミュニケーションを続けること」ではないだろうか。サイバー世界に対しても、現実世界に対しても。

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Return 白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
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